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優しいふりはストレスを溜めるだけだからやめた方がいい

雑感
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優しいね。って人から言われる人がいます。

何を持って優しいのかは難しいですが、優しい人っていますよね。

優しい人ほどストレスを溜めやすいなんていう話もよく聞きます。

僕が出会った人たちでも優しい人がたくさんいます。

ストレスを溜めてるんでしょうか?

優しい人、優しいふり、優しさってなんだろうって思ったのでちょっと書いてみます。

優しいってなに?

例えばあの人は全然怒らない。優しい人だ。

あの人は困っている人を見ると助けてあげる。優しい人だ。

あの人は嫌な上司から私を守ってくれて優しい人だ。

あの人は何でも買ってくれる優しい人だ。

 

優しいにも色んな種類があって、優しい人もいろんな思惑があって優しくしているんでしょうか。

穿った見方をするなら、

全然怒らない人。怒りを我慢しているんじゃないかな?

困っている人を見ると助けてあげる人。自己満足なんじゃないの?

上司から守ってくれる人。将来的に自分の見方を作るためにやってるんじゃないの?

何でも買ってくれる人。下心があるんじゃないの?

 

性格がまっすぐでないとただ優しいだけの人も何か裏があるんじゃないの?なんて疑い深い僕はなかなか人を信用できなかったりします。

ここで本当の優しさとは何かについて論ずるつもりはありません。

好かれたい、嫌われたくないからは優しいではない。

誰しも人に好かれた方がいいし、嫌われたくないの当たり前ですがその為に優しいを演出するのは間違いなくやめた方がいいと思います。

優しいを演出することで自分が疲れる事もあれば、最初は好かれたい、嫌われたくないと思っていたのに自分のした優しさ(努力による演出)が報われないとかえってストレスになってしまう事があります。

以前こんな記事を書きましたので参考まで。

人に優しくして見返りを求めると損した気分になるからやめた方がいい。

 

僕は仕事柄優しい人のふりをする事があります。

営業マンという仕事柄、優しく、親身になって提案をしてそして契約をしてもらう為です。

もちろんだましているわけでは親身になって誠心誠意対応しています。

契約という確実な見返りがあれば優しくしてるふりだって別に構わないと思います。

これは先ほどの話と同じことですが、頑張って演出しても全然契約出来なければそれは大いなるストレスになりますし、多分その人は演出、優しさの方向が間違っているのでしょう。

方向性の違うやみくもな優しさは時に人を不快にさせるかもしれませんし、その優しさの奥に見える下心のようなものも見透かされてしまうかもしれません。

優しいという事を相手の希望を叶えてあげるとか、相手に好かれるように合わせるような発言をするとかそういった類の事に結び付けてしまうと特に危険かもしれません。

結局

自分に自信がないとか、無理して好かれようとしたり、嫌われないように相手に迎合してみたり。

人間そんなに強くもありませんし、嫌われたくないのである程度人に合わせたりするものです。それはとても普通の事のように思います。

しかしながら無理をして迎合し優しく接するという事は多分日常的にストレスを抱えてしまう事になるでしょうし(大小問わず)、それを継続する事は気づかぬうちに自分の精神にとって大きな負荷になってしまうと思います。

あなたを大切に思ってくれている人が周りにいない方には同情しますが、少しでも周りに自分の事を大切に思ってくれる人を大切に、そして素直の生きた方がいいのではとも思います。

無理して誰かに好かれてちょっと偽りの自分を演じてそれを継続していくことは幸せに生きていけるのか、少し疑問に感じてしまいます。

以前も少し触れましたが、優しくする事は自分にとても余裕があるときにさえできればいいのでは思います。

見返りはあったらいいなくらいで考える。がちょうどいいのではと思います。

優しいのは結構ですが、優しいふりは疲れませんか?

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