「情熱を持って仕事に取り組まなければ成果など生まれない。」
と言っている人をたまにお見掛けします。
確かに情熱を持って仕事に取り組むことは非常に素晴らしく仕事に対する成長だって早いように思います。
しかしながらこの情熱、やる気の精神論を持ち出し方法論を全く教えられない情熱論者ほど恐ろしいものはありません。
精神論が先が方法論が先かという論点で行けば方法論が先でいいのではないかと僕は思っています。
精神論者の意見
よく聞きそうな精神論者の例をちょっと挙げて行きます。
「情熱が無いからそんな提案しか作れないんだぞ。」
「この間行った事まだ理解できていないのか?やる気が無いんじゃないの?」
「そんな事自分で考えればわかるだろ。この仕事に興味がないからわからないんじゃないのか?」
もろ精神論の鏡のような発言です。
方法論があってこその情熱
仕事に対して最初から情熱をもてる人間と言うのはかなり限れているように思います。就職前に完全に仕事を理解することはとても難しく、また興味があってやりがいありそうとか、予測をしながら入社される方が多いと思います。
(中途で入社される方は具体的にな目標を持って就職される方もたくさんいますが。)
ましてや経営者のようにこれをいかに売っていかに利益を上げるかという事を考えるのが楽しくてしょうがない。という方ばかりではないですからね。
ところが入ってみたらわからないことだらけ、そこに情熱、やる気と言われてもせっかく興味を持っていた仕事に対してもやる方法が分からなければかえってやる気や情熱を削いでしまう原因にだってなりかねません。
先ほどの情熱論に対しての言われる側の気持ちをを入れてみましょう。
「情熱が無いからそんな提案しか作れないんだぞ。」
(いや情熱が無いがないんじゃなくて知識がないんです。)
「この間行った事まだ理解できていないのか?やる気が無いんじゃないの?」
(難解な用語をまくしたてられても、しかも一回言われただけは覚えるのムリっすわ)
「そんな事自分で考えればわかるだろ。この仕事に興味がないからわからないんじゃないのか?」
(考えてわかるならとっくにやってますわ。興味はあったけどそんなに言われても、やる気なくすだけっすよ)
僕も指導する側に立っているのですが、情熱論は嫌いなので情熱、やる気がある無いと言った類の話はしません。
考え方が真逆の立場にいて、知識が身について興味を深め、面白味を理解して情熱を込めて仕事が出来るようになると思っているからです。
気持ちの面を奮い立たせる事も重要ですが、どのようにやり、どのように成果を上げていくのかは経験を積みながら理解しながらでないと正直難しいのではないかと考ええます。
以前にも書いていますが、勘がものすごく良く吸収する速度も速い、成長も速い人は一定数いますが、そこに頼る。またそこを基準として人を測るのは危険です。
こつこつと時間をかけて成長する人もいますし、理解度が乏しい人間でも少しずつ成長していくものです。
興味を沸かせる努力は根性なんかではなく成功体験
仕事に対して興味を沸かせることはそんなに難しいことではないと思います。
ケースに応じてこの場合の方法はこれがいいと思うよ。という方法を教える事。そしてそれを積み重ねる事によって徐々に自分一人でできるスキルを身に着ける事ができる。
スキルを身に着けてそれで仕事が成功する。その成功体験こそが快感であって仕事をより興味深くできる唯一の方法ではないかと思います。
その成功体験の途中でチクチクと嫌味を言っていくような事はなんら建設的ではありませんし、正しい選択ではありません。
よって指導者は成功に導くための方法を積極的に教えていくべきだと考えます。
まとめ
熱意を持って仕事を教えると言うことを情熱、思想を伝える事と捉え、精神論を語りがちになる人は多いです。
仕事をする上でそれは大事な要素の1つです。
しかしながら熱意を伝える事と仕事が出来るようになってもらえることは別の要素だと思います。
しっかりとした方法を授け、仕事を理解出来るようになってから熱意を伝えてはいかがでしょうか。
追記 いつも指導者論のような事を書いてしまいますが、逆に費用を払ってスキルを学んでいる方にも相通ずるところがあると想いますので少しだけ補足です。
セミナーや自己啓発といった類いのものには精神論、情熱を語るものがよくあります。
もちろんメンタルが落ち込んでいるときには有効に働きカンフル剤のようにやる気がみなぎります。
但しやはりそれは一時的なものであり、それを求めてのめり込むのはあまり得策ではないと思います。
どこまで行ってもやはり方法論、技術(スキル)を学べる事に投資をするのが一番であると思いますので学ぶ側もしっかりと有用であるかを判断していって頂きたいと思います。
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