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人とのほどよい距離感の取り方。程よいは程よくないかも。

雑感
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人付き合いは疲れる。

人間関係がうまくいかない。

そんな事で何かを神経をすり減らしたり。

好きだけど言えない。

嫌われたらどうしようなんて悩んでみたり。

夫婦なのに本当の事が言えない。うわべ的な会話ばかり。

そんな方案外多いのではないでしょうか。

人との関係ほど簡単なようで難しいものはないなと最近感じたりしています。

心地よい距離感は人によって違う。

物理的な距離ももちろんそうですし、精神的な距離感もつかむのが難しいですね。

相手に対してどこまでの距離感で接するのがよいのか。また自分がこの距離感から入って来てほしくないという距離感。

みなさんはどのようにされているのでしょうか。

物理的な距離

例えば、

基本的に自分と相手の距離は80cm以上は空けておきたい。

あまりじっと目を見て話されるのが苦手である。

触られるのが嫌い。

背後に立たれたくない。

そんな事を思い、それをしてくる人とは通常あまり積極的にコミュニケーションを取らない。

精神的な距離

僕について(僕のしたことについて)とにかく深く追求をしてくる人が苦手である。

なぜそう思うのか。なぜその時にその行動を取ったのか。と矢継ぎ早に質問してくる。

自分の事をさらけ出す事が好きではない。

複数の相手に深く自分を知ってもらいたいと思わない。

自分の事をものすごい勢いて自分はこういう人ですと話してくるくる人間が苦手。

あるいは経過時間による。

ゆっくりと関係性を築き上げたい人もいれば早くそして多くのコミュニケーションを取り、早く関係性を築き上げるのが得意な人もいる。

その速度についても戸惑う事があります。

またその速度の心地よさというのは人となりによっても異なっており、これまた数値化できるものでは無く、ひととなりという表現しか思いつかないのがもどかしく思います。

軽い関係を続けていたらいつの間にか深い関係になっていた。

早くに深い関係になってしまったがために、早く関係が傷ついてしまった。

その速度には適正があるんでしょうが、人の心は人の心しかわからない。

結局わからないが

自分の心は言わないと伝わらない部分が多分にあります。

相手はこう思っているであろう。

こう思ってくれているのでは、は多分大部分にして通用しない。

仕事の関係であれば当然ですが、その他プライベートでのつきあいや、関係性の希薄な人、微妙な関係の人に関しては言葉を発することでしか通じ合えないと思っています。

僕自身も比較的発して失敗するよりも、嫌われたくないと発せず傍観者でいたりすることが多かったりします。

仕事ではもちろん立場もありますので、必要な事はどんどん発します。

しかしながら仕事外となると、ほどよく傍観していてなんとなく存在している感じになっています。

それが自分の中で言うほど良い距離感であってそれを崩すことなく人生は過ぎて行くものだと思っていましたが、それって今心地よいだけ。

ただそれだけではないかと思い始めています。

それで

少しだけ居心地のいい空間から抜け出そうしてちょっと失敗をしたりしました。

しかし、今更ですがちょっと気づく事があります。

最初から距離を取る事を避けずとも近づいても合わなければすぐ離れて行きます。

離れて行った人間は良しとすればいいし、残ってくれた人は大切にすればいい。

ぶつかる事もあれば、仲たがいをすることもあるし、修復できれば御の字でいいのではないかと。

そんな感じでもう少し窮屈でなく生きていけばいいじゃん。

と思った次第です。

 

ちょっと面倒くさい感じの雑感記事でした。

 

 

 

 

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