回顧主義ってわけでもないですが昔は本当に情報が限られていた時代で、
テレビ、ラジオ、雑誌(マンガ)、音楽(CD)
僕たちが得られる情報源とはこんな感じだったかと思います。
学生時代なんて昨日のドラマ見た?ジャンプのあのマンガ面白いよね。
ドラクエもうクリアした?
なんて友人との会話の共通項って普通に何もせずとも多かったような気がします。
今考えると圧倒的に限られた情報しか僕らの周りにはなかった。
そんな事を思ったのも、今はテレビもBS局やCSもあったりYoutubeだってHuluだってあるし、スマホで検索すればいくらでも情報を入れる事ができます。
娘がなぜか昔のアニメのおジャ魔女どれみにハマったり、ドクタースランプアラレちゃんにハマったりしてお友達に一生懸命アラレちゃんの話をしたりしているわけですが、お友達はちんぷんかんぷん。
「ちゃんとお友達にもわかる話を一緒にしないとダメだよ。」
なんて話をした事がありました。
そう思うと今の時代はたくさん情報があって、それを受け取る側にもたくさんの選択権があることになります。
結局、興味や好きな事も細分化されていって複雑になっていっている。しかしながらSNSなどで共通の趣味を持った人を探すのが容易になっている。
僕たちが子どもの頃は物理的な距離が近い人間が友達となり、親友となった時代でしたが今は物理的な距離なんてさほど関係無くなってきているのかな。
北海道と沖縄に住んでる人たちが同じが趣味を持ってSNSでやり取りして大の親友です!
なんて事もある世の中ってすごいなと思います。
逆に物理的な距離が近い人たちと接する場合には共通点を探し、もしくは新しくその人との共通項を作っていったりしないと親しくなれないなんてことも出てきているのかもしれません。
今の時代は知りたい情報はすぐに手に入れられるし、より多様化した趣味を楽しめるしいい時代になったなと思う反面、より個人主義的に人は生きるようになったのではないかという思いもあってどっちが果たしていいんだろうなんて、年寄りじみたことを思ったりしてしまいます。
もっと世の中は単純で知らない事がたくさんあって、他人が何しているかわからなくてドキドキしたりしていた昔に比べて、SNSでこの人はこんな趣味なんだ、とか
用事があるって言ってたけど他の人と遊んでるじゃん!とか
気を付けていないとそんなことまでわかってしまう今の世の中。
それが当たり前ではなかった僕なんかは少しその事を怖いなんて思ってしまいます。
まあ古い人間だと言ってしまえばそれまでなんでしょうね。
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