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会社員を辞めないけど会社に依存する生き方はしない。

心が疲れたとき ビジネス
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営業という仕事をしていて一度だけ会社で泣いたことがある。

会社では出来て当たり前。出来ませんという発言は許されない。

頑張ります。と言うと

頑張らなくていいから契約しろよ。

頑張るなんて言葉は使うな。

とひどくののしられた。そんな言葉はくずが使う言葉だと。

それでも感情の波は激しくいいときと悪いときの気分は差は半端がなかった。

理想の自分と現実のギャップが大きく開いてしまい、それでも「出来ません。」という一言が言えなかった。

自分は出来る人間だと思っていたし、出来ませんなんていう奴は愚か者だと思っていた。

今考えれば何をそこまで会社に依存して、気にしていたのかと軽く笑い飛ばせるくらいの出来事だったが、当時の僕にはそんな風に考えられる余裕がなかった。

どうしても我慢が出来ずに「僕には無理です。できません。」

と言った時に自然と涙がこぼれた。

多分限界だったんだろう。

でも心がすっきりとして出来ない自分を受けれいる事ができた。

完璧に物事をこなそうとすると少しのミスも許さなくなる。

自分で自分の首をしめている。

会社は期待をして責任を押し付けてくることがあっても助けてくれることはしない。

助けてくれることはないのだ。

 

自分を救ってくれるの自分だけ。自分を許してくれるのも自分だけである。

自分だけがダメな自分を愛してくれる。

自分だけが自分の裁量で自分自身を判断してくれる。

 

70点取れればまあいいか。

と思えるようになったのはその時から。

いつも100点以外は許さない。

という会社なら僕はその会社をすぐに辞める。

そんなものを求めるなら従業員を解雇してAIロボットでも開発すればいい。

僕じゃなくていい。と思う。

 

会社なんてその人じゃないとダメなんて事はありえない。

辞めても誰かがなんとかする。

何ともならない会社なら潰れればいい。

 

それでもそんな僕でもいいと言ってくれる会社ならいてあげてもいい。

くらいに今は思っている。

営業しかやってこなかった僕は営業しか出来ないかもしれない。

でも営業が出来ればどこでだって生きていける。

そう思っている。

 

会社に忠誠心もないし、お世話になっているという感情は今はもうない。

労働力を技能を売って対価を得ている。

それだけの関係なのだから、雇ってもらってとか、採用してもらった育ててもらったとかいう恩義を感じる必要性はまるでないと思っている。

それくらいにドライに考えればいい。

ドライに考えればいい。

 

日本の雇用体系は何かがおかしいと思っている。

終身雇用といわれた時代なら多少の我慢も美徳かもしれないが、今は終身雇用と言う名の安心だけが消えて会社に対する忠誠心を誓えという悪しき習慣がだけが残っている。

そんな気がしてならない。

 

もちろんそんな会社ばかりではなく新しい働き方ができる会社だってたくさんある。

そろそろ名ばかりでは無く本当の働き方の改革という事が必要ではないのかと思う。

もっと自由に働きたいものです。

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